2010年8月13日金曜日

信じることと疑うこと

こっちにいるとどこまで人を信じていいのかわからなくなるときがあります。


時間を守らない、貸したものを返さない、

だまして違うバスに乗らせようとする、

だましてお金を巻き上げようとする人もいるし。

だから、普段の生活の中で、

常に疑うことが頭の中の根っこの部分に根付いてしまっています。

それが危険を回避するための手段でもあるから。


あの人のことを疑いたくないけど、疑ってしまっている。

でも、それが本当だったら、その人に言った方がいいし。

でも、間違っていたら、せっかくの信頼関係が。

2 件のコメント:

  1. ちょっと気持ちわかるかも。
    海外に行くと、似たような気持ちになるので。
    つーか、この世知辛い世の中、最近は日本にいても、人を疑うって事多くなってきたような気がするよ・・・

    でもさ、ある人に言われたんだけど、「人を疑う」といった、ネガティブな気持ちを持つって、とてもエネルギー使うんだよね。結果、疲れる。

    同じエネルギーを使うなら、ポジティブな事に使った方が楽だし、生産性も上がる!って。

    だから、自分を楽にするためにも、(生命に危険の及ばない程度で)もう、諦めてしまうというのも手なのかも。

    清濁併せ持って人間だし。そういう意味ではとても人間らしい人達なのかもよ。

    もう一つ思い出した。
    祖母が言ってたけど、戦後の混乱期は日本も良くあったみたい。
    銭湯にちょっと良い(新しい、とか)草履を履いて行くと、お風呂入って出てくる時には無くなっているって。でも祖母はそんなこと気にせず、残っている草履の中から一番良さげな奴を履いて帰ってきたって。

    秩序や規律って、心の余裕がないと生まれないんだろうね。お金がすべてではないけれど、経済的余裕があれば、精神的余裕に繋がるという事もあるから・・・・

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  2. エネルギー使うね、疲れるね。あきらめるか〜、それも難しい。それをしたら、私がここにいる意味が半減する気もするし。上手く付き合うのが大事ね。

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