2011年12月28日水曜日

片付け片付け

オフィスの片付け、家の片付け、荷物のパッキング。


いらないものは全部置いていっていいと大家さん。そこからめぼしい物をあさって持っていくんだろうけど、こっちとしては処分する手間が省けて嬉しい。昨日と今日とユースと同僚が来て、家の片付けを手伝ってもらったり、私の不要物を売ったり、掃除してもらったお礼としてただで持っていってもらったり。何でも持っていってくれてありがたいような・・・。


しかし、最後の最後までザンビア人はザンビア人だ。
9時〜10時に2人の人とオフィスで会う約束をしていたけど、来るの遅かったので、私は帰りました。
郵便局に行ったら、関税のオフィサーがいなくて荷物が送れませんでした。営業時間中なのに。めちゃくちゃ文句を言ってきたから、もう郵便局行けないわー。


明日はYMCAでフェアウェル、あさってルサカに引き上げます。

2011年12月24日土曜日

最後のワークショップ終了!

Drug Abuse Prevention Workshop for Street Children Part 2終了しました。
前回(3月)実施の分はこちら
今日が私の最後の大きな仕事。後はオフィスの片付けを来週して、ファイル等を引き継いで終了です。


今回はほとんどユースにやってもらって、まぁいつも通り時間に遅れたり、ご飯について文句を言われたり、大大成功とは言えないけれど、無事に目的を果たせたかなと思います。


今回の参加者たち


今回は実験を導入。発泡スチロールを人間の脳にみたてて、スティッカーと呼ばれるシンナー系のドラッグをかけたらどうなるか観察。
見事に溶けました。
準備段階で、普通のペイント用のシンナーを手に入れてやってみたけど、あんま溶けず、うまくいくか心配なくらいだったけど、スティッカーはめちゃくちゃ強かった。見る見る間に発泡スチロールが溶けました。

真ん中がスティッカー。見にくいけど。


「発泡スチロール=人間の脳」「発泡スチロールが溶ける=みんなの頭もダメージを受けている」っていうのを証明するこの実験の内容がどこまで伝わっているかわからないけど、インパクトは与えられたかな?
もう少し実験方法&内容を改善して、もう一回やれたらすごく良いワークショップになりそうだけど・・・。それは引き継ごう。


一般の人とシンナーユーザーの脳の比較


メインファシリテーターとしてやってくれたのが今回初めてYMCAのメンバーとして参加したエマニュエルで、彼も初めてながらよくがんばってくれました。50名ほどのストリートチルドレンを相手に、何度もプログラムがぐちゃぐちゃになりそうになりながらも、最後まで声を張り続けてくれました。本当にすばらしかったです。今回は彼の頑張りに本当に感謝。
ランチの準備で、ワークショップの中身に全然関わる時間がなかったけど、文句も言わず作ってくれた2人の女性メンバーにも感謝。
ランチ用のお米代のコントリビューションをしてくれたYMCAボランティアスタッフにも感謝。
ランチに文句を言っていたけど、参加したストリートチルドレンにも感謝。スティッカーの恐ろしさを少しは身をもってわかってくれたかな?まぁ、相変わらず吸ってるんだけどねーーー。


そして、今までずっと履き続けていたいつものサンダルで、なぜかここにきて初めて靴擦れを起こした今日・・・自分もがんばったのかな。いつものサンダルに感謝?
このサンダル、よく持った。



2011年12月22日木曜日

うれしかったこと

この間、久しぶり(約1年半ぶりくらい)にジャックリンという名の女の子のストリートチルドレンに再会した。


彼女は私が赴任してきた時期から去年の7月くらいまで、ずっとストリートチルドレンをやっていた子。6、7歳くらいかな。私が一番最初に名前を覚えたストリートチルドレンだった。


当時は、会う度に挨拶をして、まだあまりしゃべれないベンバ語で話してみたりした。
とてもかわいい子で、大人しくって、はにかんでしゃべっていたのを思い出す。
でも、やっぱり言葉も通じないし、こっちはとても関心を示しているんだよっていう風に接してても、どこかしらツンとした態度を示すのは変わらなかった気がする。


それからしばらくジャックリンは路上にあらわれなかった。


そんな彼女と今回久しぶりに路上で再会した。


私を見つけたとたん、走って抱きついてきた。
成長してるし、英語でHow are you?なんて聞いてきてた。


以前は、こんなストレートに自分の感情を外に出す子じゃなかったし、英語で話しかけてくるなんてもってのほか。
彼女の成長に驚くのと同時に、私のことを覚えていてくれたこと、私が彼女のことに関心を持って接してきたんだということが彼女に伝わっていたことが嬉しかった。


ストリートチルドレンは、接するのが確かに難しい。何度も嫌な思いをしたこともある。
でも、少なからず彼女には、私の心が(千の愛のうちの一つが)伝わっていたのかなと思うとすっごく嬉しい。
私が彼女を成長させた訳でも、英語を教えた訳でもないけど、そしてこれからそれができるわけじゃないけど、私の「存在」を覚えていてくれればいいなと思う。知らない日本人がよく声をかけてきてくれたな、関心を持ってくれていたな、ということをこれからも覚えていてくれていればいいなと思う。


結局、そんなことしか残すことはできなかったのかもしれないけど。

Ba Chile

隣町Ndolaのバスステーションで突然、Ba Chile!!の声。


Ba Chileは、KitweのStreet Childrenが私を呼ぶときに使うんですが、なんでNdolaで?と思ったら、Kitweでたまに見かける2人のStreet Childrenがいました。
*Baはベンバ語で年上の人を呼ぶときにつける敬称、Chileは私のベンバ名Chilesheの短縮系


「なんでここにいるの?」って聞いたら、キトウェから来たとのこと。
「どこに行くの?」と聞かれたので、「キトウェに帰るよ」と答えた。
そしたら、彼らもKitweまで一緒に帰ってきました。
どうやって帰って来たのかわからんけど(バスって言ってたけどホントかな?)、キトウェで笑顔でサプライズ的にお出迎えされた。
「お水頂戴!」とか言ってくるけど、憎めない奴らだなーーー。


最近は、クリスマス前なので、たくさんのStreet Childrenが出てきています。クリスマスシーズンはStreet Childrenにとっても書き入れ時。
タウンを歩いているとBa Chile、Ba Chileと呼ばれるけど、最近は知らない子から呼ばれることも多い・・・。どこで私の顔と名前を覚えているのか。。。


ショップライトの前では、私が通るたびにStreet Childrenが寄ってきて、周りのザンビア人はそれを避けて歩いていきます。マーケットに行くときについてくる子もいるし、そうするとあまりチョッチョリーとか呼ばれないし。逆にStreet Childrenに守られている気がする!?いつも携帯を触りたがる子も、私が携帯を手渡しても、すこし遊んで返してくれる。
ほんとに憎めない奴らなんです。


そんな、彼らへ、私の最後の仕事。明後日ワークショップです。
ユースがどれだけ準備をしてくれているか、期待せずに、明日打ち合わせです。
ワークショップでStreet Childrenたちに、日本に帰ることを伝えねば。

残り2週間

ルサカでの表敬訪問、銀行クローズ、帰国面談&報告会、送別会、全て終わりました。


残り2週間弱、任地で最後の仕事と家の片付け。
12月30日に引き上げで、1月3日に出発です。


そうそう、
パソコン、復活しました!
実は最近、携帯も水没させたんですが、復活しました!


パソコンはACアダプターを借りたら、普通に動きました。
雷かなんかでやられたのかな。
おかげで、帰国報告会のパワーポイントも作れたし、メールも日本語で返信できます。
サンクス!

2011年11月21日月曜日

No PC, No Life

My laptop is something wrong... It seems like the adopter or battery have the problem, but HDD is still fine. I believe that Apple store in Japan can do something for it.


So I might not be able to come to this blog.
But don't worry! I will survive the rest of my life in Zambia without my MacBook.


To whom it may concern,
I am afraid that I can't check my email often, and I can't write in Japanese.
But still you can email me. I will try all the way to communicate with you, especially my company.
I regret any inconvenience this may cause.



See y'all soon! 

2011年11月19日土曜日

最後までムカつくわ

もう任期も1ヶ月ちょっとしかないし、このザンビア生活ともザンビア人ともお別れかと愛おしくなっていたけど、やっぱりムカつくわ、ザンビア人!


って思った今日のイベント。。。


今週はYMCA/YWCAの(たぶん)全世界共通のイベント、Week of Prayerというのがありました。そして今日は、その最終日で「YMCA/YWCAとして弱者への支援をしよう」みたいな日。
(こういうクリスチャン系のイベントとかは、私は企画/運営にいっさい関与せず、ただ参加者というかオブザーバーというかカメラマンというかそんなスタンスでいつもやってきました。)


なんか、まぁ、これがアフリカのクリスチャンのスタイルなのかな〜?
「弱者に対して何かしよう=ものをあげる」だし、今日なんか上から目線的にドネーション(寄付)をする施設に行ってザッと見学して、ものあげて、集合写真を撮って、YMCAに帰って来たら一人10ピン(約200円)のアローアンス(報酬)をもらうってゆう。しかもドネーションはYMCAとYWCAのお金であって、彼ら個人から寄付されたお金じゃない。じゃ、あなたたちいらないじゃん、アローアンスあげなきゃいけないなら、来なくていいじゃん。その分もっと良いもの買えたじゃん。。


今日行ったのは、キトウェセントラルホスピタルの小児科病棟みたいなところ。小さな赤ちゃんがベッドで寝てて、その隣でお母さんが必死に世話をしていた。それをちょろっと見学して、ORS(経口補水塩)用の砂糖と塩、ポリッジ(おかゆみたいなドロドロした食事)用のソヤフラワーをドネーション。
この光景、想像できますか?
小さな赤ちゃんとその世話をしているお母さんを見学するYMCAのメンバー。


私はこういうの本当に嫌い。
車の中からトークタイム(携帯のプリペイドカード)売っている人を呼んで買うのとか嫌い。カピリムポシのバスストップでバスの中から、ものを売っている人を見下ろす光景も嫌い(とはいえ、バスの中から私も水とか買うけど)。社会構造をそのまま反映しているような光景は何か、痛くなるんだよね。
同じ立場にはなれないかもしれんけど、同じ目線に立つことはできると思うのです。
私ができているかと言えば、できていないんだろうけど。。。
でも、思えばこれが私の協力隊に参加した動機だったな。
今回の訪問の仕方は、ほんと・・・何か、不快でした。もっとこう、愛のこもった訪問はできないものかと。。。


そしてやっぱりここでもアローアンス。
私はいつもアローアンスはもらわないし、アローアンスをあげる時間になるとユースやスタッフに「あなたたちのボランタリースピリットって何?」って問いかける。結局彼らはもらうけど。
私がオーガナイズするイベントやワークショップは基本的にアローアンスはなしで、ユースにボランティアとして働いてもらうけど、確かに他のNGOもアローアンス出してるし(YMCAは安い方)、やめたらメンバーみんなそっちに流れていっちゃうし、ユースを動機付けするの難しいんだけど。
今日のこそ、本当にボランティアでやるべきだよなーと感じて、またまたすごく不快だったから、退席してしまった。外で終わるのを待って、ユースに話したけど、「You are ture」って言ってたけど・・・。口では言うんだけど。
少しでも伝われば、いいか。
アローアンスの文化は本当に植民地の宗主国が残した負の財産です。


久しぶりに会った最近活発でないユース(たぶん人数合わせのためだけに声をかけられて参加したんじゃないかと思われる)は、ベンバ語で話してきて、全然知らん単語だからわからんって英語で答えたら、まだベンバ語話せないの?って言ってきて、そんなん知らん単語まだまだいっぱいあるに決まっているし、フェアウェルパーティなんて単語、頻出単語じゃないし、その馬鹿にした感じ、不快指数高かった分、めっちゃ腹が立ったー。


という、今日は愚痴ばかりのイベントでした。
これで満足していい気分になっているザンビア人がムカつく。体裁だけちゃんとしてればいいと思っているからね。

2011年11月13日日曜日

今の心境


活動の最終報告書を書くにあたって以前のブログを見ながら、2年間何をしてきたのか、どんな想いだったのか振り返ってみた。

悔しくて泣いたこともあったし、もうイヤだって思ったこともあったし、イライラしてミニバスの窓ガラスを殴ったこともあったっけ。
でも、うれし泣きをしたこともあったなぁ。


今、私の気持ちを代弁しているのは、ゆずの「栄光の架け橋」だなと思います。まさしく。

2011年11月11日金曜日

内容のないブログ

それにしても暑い。
オフィスは風通しが悪く、この時期は座っているだけで眠気に襲われます。


最近の業務は主に引き継ぎ資料作り&引き継ぎ。来月に最後のワークショップを開く予定なのですが、それはほとんど彼らにやってもらおう。
というわけで、仕事はそれほど忙しくないのですが、資料作りや帰国準備などでパソコンに向かう時間が長くなっています。
暑いからむしろ家でパソコンワークしていた方がいいのでは・・・と思うけど、残り少ない日数、やっぱりオフィスでザンビア人と一緒に仕事をしようと。


さて、ワークショップ用に紙芝居的なものを用意しなければ。


いいポージングを知っているな

2011年11月4日金曜日

2ヶ月

残りちょうど2ヶ月です。


成田には2012年1月4日の20:15に着きます。
愛知には1月10日の夜に帰ります(予定)。


その後の予定は未定。
夜はいつでも空いてるから、ご飯食べに行きましょう、みなさん!
注)お酒はだいぶ弱くなっています。




その前に、
最後のイベントやって、引き継ぎして、家の片付けや帰国報告会など、
なんだか落ち着かない感じで日々過ぎていきそうだけど、
最後の1/12の任期を、これまで支えてくれた人たちへの感謝を示すつもりで乗り切りたいと思います。


日本からの手紙は家の壁に貼らせてもらっています。
手紙を受け取るたびに、メールをもらうたびに嬉しい笑顔が自然とこぼれました。
本当に支えられてきました。ありがとう。

2011年10月31日月曜日

ただいま

昨日、モザンビークから任地に帰ってきました。

モザンビークの南マプトから北のペンバまで、はるばる3,000キロの旅(途中飛んだけど)。
行ったところ:首都マプト→ビランクーロ→シモイヨ→ベイラ→ペンバ→モザンビーク島→ナンプラ(ベイラ〜ペンバ間は飛行機)

モザンビークはお隣の国ではあるけど、元ポルトガル領だったので、ザンビアとは違う雰囲気。
言葉も英語ではなくポルトガル語だし、街の作りもザンビアとは全く違ってキレイでおしゃれ。海もあるし。料理もポルトガルの影響を受けているのかとてもおいしく、シーフード満喫。人々はラテン系で、おしゃれ&センスがいい。音楽や絵画や彫刻といった文化が地位を得ている。
・・・隣の芝はあおく見えます。
でも、公共交通機関は確実にザンビアの方が立派。3,000キロの旅、移動、大変だった!

そして、たくさんの協力隊員、同期隊員全員にも会えて、お世話になりました。
訓練所で同じ班だった人へのサプライズ誕生日会も大成功。
ありがとう!また、日本で会おう!

写真を。
海にはイルカもいたよ〜

いつかの昼食
かに、いか、えび、海さかな、さしみ、かい、ロブスター
海のものはおいしかった

アーティストだね
アーティストとシモイヨ隊員からのプレゼント

アフリカ大陸のヤシの木もよかった
アフリカじゃないみたい

カラフルな家とかザンビアにはないな
モザンビーク島
砂は鳴き砂でした
ビランクーロの島のビーチ

シュノーケリングでカラフルな魚いっぱい見れた

海辺に行けばいつもシーフード

ペンバのリゾート

最後のホリデイを楽しんだので、残り2ヶ月ラストスパートです。

2011年10月13日木曜日

引き上げ日決定

キトウェからルサカに引き上げる日が決まりました。


クリスマスホリデー後の12月30日です。
今から送る荷物は準備し始めてもいいかもな。

そして1月2日に活動を終え、1月3日に出発予定です。
まだ出発の日はJICAからの連絡はないのですが、ほぼ3日で確実ではないかと思います。
ここからの情報も推測なのですが、たぶんこういう日程になるはず。
1月4日 日本到着、1月5〜9日の午前まで 帰国後健康診断・手続き・報告等、1月9日午後 帰宅。
てことは職場復帰は1月10日か?

まだ全く実感がないです。

ようやくここまで

ようやくワークキャンプで作ってきた机・ベンチが完成しそうです。
もうすこしで全部完成
土曜日には机の引き渡し式があるので、そのときに私からもちょっとしたプレゼントを幼稚園にあげようと思っています。
本当はワークキャンプで壁の補修とペイントもしたかったのだけれど、予算が許さずできなかったので、こんなプレゼントです。
ワークキャンプの写真と壁に貼る教材
この机・ベンチにはとりわけ愛着があるので、大事に使って欲しいな。
外からの援助でぽんってもらったり建ったりするものよりも、地元の若者達がボランティアとして汗水たらしながら作ってくれたもの。
若者達が働く様子をコミュニティの人たちも見てるし、子ども達も見ているから、きっと何かを感じてくれているはず。長い期間かけてできあがったのはたったの15台の机とベンチだけだけど、それよりもユースが力を合わせてコミュニティへ貢献するっていう形をつくれたのが一番よかったと思っています。

”Develop Community Through Youths”が私の活動の目標でもあったので、キャンプ自体にはいろいろ改善点もあると思うけど、活動の最後の大きなイベントとしては良かったと思います。


もうあと一踏ん張り。
そして来週から2週間ほど旅行に行ってきます!
(しばらくブログ、メールの返事が遅れるかもしれません)

2011年10月5日水曜日

連日の雨、

October has come!
帰国手続き関係もしていかなければいけない。家の解約、引き上げ日決定・・・。


10月といえば一番暑い月なはずなんですが。10月に入ってから連日雨が降っています。もう雨期!?


雨期になると嬉しいのは、果物や野菜がたくさんマーケットに並ぶこと。
今日は、今シーズン初マンゴー&パイナップルを買いました。
マンゴー1個K500(10円)、パイナップル1個K2000(40円)。


こっちのマンゴーは日本のそれと違って小ぶりです。本格的なシーズンになれば、マーケットで買わなくてもその辺に木が生えているので取って食べれます。家の庭に生えているのはまだ実が1センチくらいなので、来月が食べごろかなー。
ザンビア人は黄色く変わる前にあおいままマンゴーを食べます。絶対熟してからの方がおいしいよーって思っていたけど、あおいままのものを去年試したら、これが結構おいしい。熟したのは汁がしたたって甘くてそれはそれでおいしいんですが、あおいのもマンゴーの香りが味わえるのに甘酸っぱくておいしいんです。
これから本格的なマンゴーのシーズン、楽しみだ。


でも、それと同時に蛾や羽アリ、バッタ、ゴキブリなど虫達も大量発生しますが。

2011年9月23日金曜日

渦中のキトウェで

大統領選挙の結果が昨日の深夜12:30頃発表され、政権交代となりました。歴史的瞬間。


前野党のPFの勢力の強いキトウェの街では、車のクラクションをならしたり、口笛をならしたり、ブブセラをならしたりして勝利を祝っている人がたくさんいます。・・・るさい。


選挙日前日の9月19日からJICAからは自宅待機を命じられ、今日までずっと自宅にいます。


選挙前日、そして選挙当日はとても静かで平和に選挙が行われている様子だったんですが、選挙結果の遅延に対する抗議で昨日はかなり荒れました。
さすがキトウェ、これぞキトウェ、今までの静けさは逆に不気味だった。


朝はキトウェのタウンやコンパウンドでお店の窓ガラスが割られたり、マーケットが焼かれたり。午後になるとタウンへの道を封鎖していた周辺で、そこに集まった人々が暴徒化。投石や車に放火したりして、それを押さえるため警察や軍隊が発砲したのかな?2名が死亡(不確定情報)。私の家からも銃声が何度も聞こえていました。
でも、私の家の周辺はいたって静かだったので、私は全然無事です。


何のために、関係のないお店の窓ガラス割ったり、燃やしたり、石投げたりするのかは、理解不能なんですが、とにかく早く結果を発表しろ、与党側は不正をするなっといった抗議なのでしょう。


まだ暴動が激化する前にその場にいたという人から写真をゲットしたので掲載。
ちっちゃくて見難いけど、
逃げる人(手前)と石を軍の車に投げる人(奥)

逃げる人々

焼かれたミニバス

たぶんタイヤを燃やしてるのかな

タウンに向かおうとしている多くの人々


たぶんこの暴動に参加している多くの人たちは一般の人。誰かが始めたのに乗じて石を投げたりしているんだと思います。またこの暴動に乗じてお店から商品を盗む等の犯罪も。何かこういうのヤダな。


とりあえず今は暴動は落ち着いています。


これから心配なのは、政権をとったPFはどちらかというと排他的で、ますます中国人に対する攻撃が増えるのではないかということ。う〜ん、どうなるかな。




しかし、9月は選挙で振り回されたな〜。


選挙に関する様々な噂や推測、憶測が飛び交って、中にはそんなの信じるん!?っていうような内容もあり、端からザンビア人を見ていて面白かったこともたくさんあるので、また時間があるときに書こうと思います。

2011年9月15日木曜日

ワークキャンプ継続中?

ワークキャンプの報告をと思っているのですが、なかなか書けていません。
というのも私の中ではワークキャンプ今だ継続中だから!?


キャンプ中にやっていた幼稚園の机といす作りがまだ終わっていないから、毎日Kamatipaへ行っては作業を手伝っています。私も報告書作りとか、他の仕事とか進めたいからオフィスに行きたいんだけど、私がいないとみんな働かないんだもん・・・。


ほんとザンビアンタイムでゆったりと進んでいます。最近、暑くなってきたし、みんなダラダラし始めたよ。
本当は9月4日までのキャンプ中に終わらせて、9月5日の学校の始業に間に合わせたかったんだけど。


でも、かなり質のいいものを作ってくれているので(釘を使わない方法で、こっちの方が保ちがいい)
こうなったら、今月中という目標でゆっくり完成させよう。じゃないと、こっちがイライラするだけだから。
もうちょっと待ってて!子ども達!


大統領選挙間近

大統領選挙(9月20日)にともない各政党のキャンペーンが激しくなってきました。
今日はキトウェの町もPFという政党の党首Sataが来ていたらしく、大混乱です。同僚もみんな仕事を早く切り上げ、子どもを学校に向かえにいったり、家に帰ったりしていました。警察も出動してたし。私もボスに言われSP?(同僚のエスコート)つきで早めに帰宅。


キトウェは野党のPFの勢力が強い地域です。
PFのキャッチフレーズ(スローガン?)がDon't Kubeba.(言うな!という意味)
Don't Kubeba(ドンチュクベーバ)!ピーピー(笛)!と言いながら拳を上にあげ、車のクラクションを鳴らして騒いでいます。


MMDという現在の野党は選挙のキャンペーンにかなりのお金をつぎ込んでいます。MMDの党首ルピア・バンダ(RB)の描かれたチテンゲ(布)や帽子、時にはビールまでを支援者にあげて、多くの人を巻き込んでキャンペーンをしています。
"Don't Kubeba"とは、PFの支援者に対して、PFの支援者であることを言うな!言わずにMMDから貰えるものはもらって、実際の投票はPFヘ!というもの。
所詮ザンビア人は誰からいくらものをもらっても関係ないと思うけど。もらうの当然と思っているから。。。
これが選挙活動のスローガンって・・・もっと国の将来のことを考えたキャッチコピーとか政策を表したのにすれば・・・と思うのですが。ビールまであげる政党もどーよ?って思うけど。
Don't Kubebaって言ってPFのチテンゲまとってキャンペーンしてたら、全然ドンチュクベーバになってないと思うんだけど。何か良く分からんな。


選挙のキャンペーンを見ていても、汚職が止まらない訳だと感じるのです。


選挙活動を行っている支援者達(みんなお金をもらっているのだけど)は、まるでサッカーのサポーターというかフーリガンのようです。それが町中で騒いでいると思っていただければ、こっちの選挙活動の様子をイメージできるのではないかと思います。


来週は状況を見て、仕事に行けるか自宅待機か決定されます。

2011年9月9日金曜日

ワークキャンプ終了

ワークキャンプが終わって、今日から通常業務に戻ります。

時間があるときにまたキャンプの様子など更新します。

ワークキャンプオープニングセレモニーにて

2011年8月17日水曜日

MISCOMMUNICATION

今日はすれ違いすれ違いで、あっちへこっちへ行ったり来たり。疲れた〜。


写真は本文とは関係ないけど。
何となくこの子の顔は親近感がわく顔だ。
サムソンくん。

2011年8月16日火曜日

ファンドレイジングイベント

今年に入ってから、配属先が今までにないほどの資金不足。国の年金機構から2008年以前の未払い分の取り立てとそのペナルティが課せられ、スタッフの給料も支払えないくらい危機的状況。

プログラムコーディネーターという立場としての私は、「何かプログラムを企画して実行する」=「お金を使う」ので、なかなか活動が難しい状況になってきています。ここにきてファイナンシャルプロブレムで自分の活動進捗が停滞。
そこでプログラムをファンドレイジングイベントに切り替えたりしながら実施しています。ほんとに少しずつしか収入は得られないけど、ユースと一緒にいろいろしています。

1)こっちでまずファンドレイジングといえばカーウォッシュ。
ユースと一緒に車を洗い、カンパをもらいます。
最近の写真がないので去年のカーウォッシュの様子

2)私立の学校にお邪魔して、ファンドレイジングお絵描きワークショップ。
参加費と写真代を徴収。
できた作品と
これだけの人数を相手にするのは疲れるけど・・・

カーウォッシュでは、半日やってK50, 000(千円)ほどの収入が、お絵描きワークショップは参加人数にもよりますが、3時間やってK50, 000〜K100, 000ほどの収入になります。
この収入から、ストリートチルドレン向けワークショップなどのユースプログラムの運営資金にしたりしたいのですが、地道にお金を貯めていかなければできませんね。
コミュニティからお金を集めて、コミュニティに還元する。あるべき形なのかもとも思います。こっちの人、持っている人はかなり持っているからね。貧富の格差はものすごいです。

ただ、本当にやりたいプログラムの前にファンドレイジングするだけで疲れるぜ。

2011年8月13日土曜日

選挙活動

大統領選に向けた選挙活動がどうやら本格的に始まったみたいです。今日は町中、選挙カー(日本のそれとは全く違うけど)や選挙活動をしている人たちがたくさんいました。


選挙カーはクラクションを鳴らして暴走?しまくり、人が箱乗りになって拳をあげてわーわー叫んだり、候補者の顔の描かれているチテンゲをマントのように巻いて叫んだり、ビールを飲んで騒いだり。全く日本でやったら逆効果だと思われる選挙活動を繰り広げています。


こういう選挙活動をしている人たちにはお金が支払われていると同僚が言っていました。なんとビールも支援されているのだとか!?


こっちの選挙は教会も絡んできていたり、変な洗脳をするファザーフランクとかいう人がいたりだとか、日本では考えられないようなことがたくさん。大きな暴動とかが起きないと良いですが。


これから町中、毎日こんな感じなんだろうか?ただでさえうるさい町キトウェなのに。

2011年8月9日火曜日

Life is difficult

近所の仲のいい高校生ブランダが学校に行けなくなるかもしれない。(私の家に来たことある人は会ったことあるはず)卒業まであと1学期残すのみなのに・・・。家庭の問題で。こっちではよくあることだけど、高校生でこんな人生のピンチにたたされるなんて。
「いつでもYMCAのオフィスか私の家に来て」って言う言葉をかけることしかできないけど、良い方向に進みますように。

2011年7月29日金曜日

One of those days

今日はさんざんな一日でした。One of those days・・・ついていない日。


今日ある物を購入するために、お金とそれを運ぶようのバスを事前に配属先にお願いしていました。
お金は決して安くない1ミリオンクワチャ(約2万円)だったし、運ぶ物もでかかったので結構何度もリマインドしてプッシュして期限までに用意してもらうように手を尽くしていました。*お金は立て替えてもらうだけなので後で配属先に戻ってくるんだけどね。


お金を銀行からおろすには小切手に2人のサインが必要になります。配属先のトップと理事の会計担当者。配属先のトップはいつも職場にいるのでいいんですが、理事は他に仕事をしていて忙しいのでなかなか捕まらない。それでも今回のために、昨日の夕方までサインも終えて準備バッチリ・・・だったはず。ここまでは。。。


今日の朝、なんとめったにないことなのにタウン中が停電。銀行の機械も動かないからお金がおろせない!!まず1つ目のアクシデント。
しばらくたったら停電は回復。セクレタリーが小切手を持って銀行に。ところが待っても待っても帰ってこない。3時間が過ぎ、もうすでに物を一緒に購入するためにユースと待ち合わせていた時間を大幅に過ぎている。。。いくら朝停電してても、銀行が3時間待ちなんてありえない!絶対どっかで仕事をさぼっていやがる!と私はイライラしながら待っていました。2つ目にイライラ。
3時間半が過ぎてようやく帰ってきたと思ったら、小切手の記入に間違いがあってお金がおろせなかったとのこと!3つ目のアクシデント。どうやらアカウンタントがthousand kwachaの記入を忘れてしまったらしい。最悪だ。
記入の間違いを訂正するにも、理事のサインがまた必要になってくるし。。。ということで、配属先のボスがボスのサインだけでお金がおろせる口座から臨時で立て替えてくれることに。ちょっとイライラ回復。(ボスは私の要求にだけはなぜか一生懸命答えようとしてくれる。ザンビア人の同僚やユースにはきついんだけど・・・)
さっそくその小切手を持ってボスが銀行へ。そしたら今度は受取人のところにセクレタリーの名前を書いてしまったらしく、またまたおろせず。確かにいつもボスが直接銀行に行っておろすなんてことないから、アカウンタントもセクレタリーが行くと思ったんだろう。セクレタリーに電話してまた銀行まで行ってもらう。もうここまできたら待つしかない。


そしてようやくお金をゲット。。。。。。
もう午後1時過ぎ。ユースとの約束の時間は朝9時から10時。
お昼も食べずようやく出発。


それでもユースは待ってくれていて、文句も言わず手伝ってくれました。
ザンビア人は辛抱強いというのか慣れているからなのか。


なんか、何にもしてないんだけど疲れた。
久しぶりにザンビア人の仕事ぶりにイライラした。
たかだか買い物してそれを運ぶだけなのに。。。


いや、今回は特別ついてなかったな!!




そしてそんな今日、ザンビア大統領選挙の日程が発表されました。
誰もがいつになるのかいつになるのかと様々な噂や憶測が飛び交う中、テレビとラジオで公表されたそうです。9月20日。
どんな騒ぎになるかな〜。騒ぎにならないことを祈るけど、ちょっとだけ何かあってもいいかもなんて思ってしまう。ザンビアは今までも平穏に行われてきたようなので、大きな暴動にはならないと思うけど。

2011年7月27日水曜日

別れ

カナダからのインターンシップでやってきた学生が今日で活動終了。
やっと帰るか〜という気持ちが大きいですが・・・。


今日、配属先でお別れ会的なものをやりました。何だか自分が帰るときのことを考えてしまった。そして彼女が帰るからというのではなく、自分が帰るときを想像して泣いてしまった。(こんなときに超自己中)帰りたくないな〜って思いました。
イヤなこともたくさんあるけど、本音は帰りたくないって思っているんだって初めて気付いた。
あと5ヶ月とちょっとの時間を大切にして過ごしていかなければ。

2011年7月10日日曜日

もうすっかり冬ですな

北風?なのか寒い風が吹いているキトウェ、ザンビア。
もうすっかり冬です。去年より寒いです。
あったかいコーヒーを飲んで家でゆっくりギターでも弾いて今週の仕事の準備をしよう。
今日は引きこもりデー。だって寒いんだもん。そんな日曜日です。


昨日は大家さん(ケリーさん)の家でネットして、空手の話を聞いて、ご飯をご馳走になりました。
大家さんはいつ行ってもYou TubeでKarate(空手)のSensei(先生)の動画をダウンロードしては、この人の膝がダメだとかこの人の腰がダメだとか言っています。空手&日本フリーク。


そんな大家さんが最近YMCAのテコンドー部の指導に来ています。
大家さんはテコンドーじゃなく空手・合気道の専門なんですが、前までYMCAのテコンドー部を指導していた人が、IOC(国際オリンピック委員会)から援助でもらったテコンドーの用具一式を勝手に売ってお金を横領していたらしく、その人に代わって指導をすることになったそうです。テコンドー部から空手部に変えるんだって言っています。


また、横領かぁ。。。裏の話を聞くと、もう活動なんてやってられんっ!てなるけど、そこは人間関係とか関わると難しい問題がいろいろあるので聞いて聞かなかったふりをして、自分の活動に専念するすべを身につけました。そうしないとやっていけない。
でも、何とかならんのかな。横領。習慣?癖?そのレベルでやっているんじゃないかと思います。
シェアの精神がこっちの文化の基本なのですが、自分の手にある物は使うし、他人の手にある物も使います。とにかくあったら使うのが基本。
これで痛い目にあっている日本人ボランティアたくさんいるし、私もあったな。
どう伝えればいいのかな???


ほんと、今日は寒い**

2011年7月5日火曜日

田舎に泊まってきました

ザンビアはただいま4連休中。


今回の休みは、遠くへは行かずコッパーベルト州内で過ごすことに。
もともとこっちに来たときに電気も水道もない茅葺きの屋根でできたお家に泊まってみたいと思っていたのですが、なかなか機会がなくて今までできず。今回の休みにそれを実行しました。


私の住んでいる町キトウェから車で30分も出て、メインロードから外れて歩いていけば、そう言った家はすぐに見つかります。
ということで、適当にその辺に行ってみよう!そんで、めぼしい家を見つけて「1泊させて下さい」とお願いしよう!計画をしていましたが、ザンビア人の友達に大反対され、結局その友達のおばさんが住んでいるというマンサンサというところを紹介されました。
マンサンサというのはキトウェと隣町ンドラの間にある村らしく、ンドラ行きのバスを途中で降りて、左にまっすぐ歩いていってBana Mwilaという人を訪ねなさいと教えてもらいました。どっちにしてもBana Mwilaさん的には突然の訪問になるわけですが(携帯も持っていないので連絡の手段がなく)私的には少なくともいちお信頼の置ける人を紹介してもらい、安心しながら冒険気分満々。


当日は一人でBana Mwilaさんを探し歩こうと思っていましたが、その友達がBana Mwilaさんの孫にあたる子と一緒に行くようにと当日の朝、孫のKapesa君(12才)を連れてきました。
一人で探し歩くのも楽しみの一つだったので、なんかちょっと冒険気分が半減させられましたが・・・・・いや、一緒に行って良かった。というか連れて行ってもらってよかった。。。メインロードからめっちゃ遠いし、全部景色一緒だし、一人だったら辿り着く前に疲れきっていたことでしょう。何回か来たことのあるKapesa君も迷ってたしね。


なんだかんだで辿り着いたBana Mwilaさんの家は、おばあちゃん(Bana Mwila)とおじいちゃん(Bashi Mwila)と孫(Captain)の3人住まい。おばあちゃんはンドラに行っていて会えず。孫のCaptain君と案内役のKapesa君は実の兄弟。お母さんが亡くなって別々に引き取られたそうです。兄弟の再会も私のおかげ(?)で果たせた訳だし、ま、連れてきてもらって良かった良かった。


昼過ぎに着いたので、少し話してごはんを頂きました。
シマとビレッジチキン。シマはローラーミールという、米で例えるならば玄米にあたるもの。町暮らしのザンビア人はブレックファーストという白米にあたるシマをよく食べます。
そして、町で食べるシマの付け合わせは基本的に油と塩で味つけがされていますが、ここでは油も塩も高いので、材料そのままの味。ビレッジチキン焼きを頂きました。
結局1泊2日中、ここで食べたのはビレッジチキン焼きとビレッジチキン焼きの残りものの水炊きとローラーミールのシマのみだったなぁ。
ですが、たいへんありがたく頂きました。薪で作ったシマは薪の香りもあって、おいしかった。
しかも、村の人は朝食8時頃と夕食17時頃の2食。昼にお腹がすいたら、畑からキャッサバやスイートポテトを掘ってきて生でバリバリと食べます。
ま、でも夜は今の時期なら19時にもなれば真っ暗になり何もすることがないので、1日のうち12時間くらいは寝ていました。
食べる、寝る。そして、その他にしていたことと言えば、歩く。
歩くというのは、お隣の家も見えないくらいそれぞれの家が点々としているので、誰かに何かを持って行く、あるいは貰いに行くのにもとにかく歩く。コミュニティースクールや教会のある地域まで歩いて30分、車がひろえるメインロードまで歩いて1時間はかかります。そして歩いている途中に会う人とは、立ち止まって挨拶をする。
今回の滞在を通して感じたことは、村の生活は、寝る・食べる・歩くの3つで成り立っているということ!


お世話になったBashi Mwilaさんは、本当にいい人で、突然の訪問にも関わらず大変良くしてもらいました。以前は町で働いていたこともあったそうですが(だから英語も喋れます)、リタイアしてからマンサンサでファームを始めたそうです。本当に本当に孫のようによく世話をしてくれました。
近所の人たちも会うたびに丁寧に挨拶をしてくれ、来てくれて嬉しいとか会えて嬉しいとかとても歓迎してくれました。「もうBashi Mwilaさんの孫なんだから、いつでも訪問してきなさい」と行ってくれたり。


実は今回この冒険をしようと思ったのは、ザンビア人(特にキトウェの人)の良いところに触れたいと思ったからというのが一つの動機です。
キトウェの町で活動していると、本当にイヤなことがたくさんあります。ザンビア人からイヤなことをたくさんされたり、言われたり、一緒に働いていてやる気を失わされることがたくさんあります。最近、キトウェは特にひどいので。。。
自分と関わるザンビア人たちと向き合うためにも、ちょっと違う人とも触れてみようと出かけました。


本当に行って良かったです。良い経験ができました。本当におじいちゃんに感謝です。
また帰る前に行けたらいいな。今度は油を持って行こ。


ところが、キトウェの良いところに触れようと出かけ、行って分かったことですが、マンサンサはキトウェではなく隣町のルアンシャというディストリクトに所属するそうです。おじいちゃんはキトウェの人ではなかった。。。
でも・・・
ありがとうございました。


あんまり撮ってないけど、写真をUP。
家の周りは畑以外に何もない。夜の星空はきれいだった。

ローラーミールのシマとビレッジチキン

村の社交場(酒場)でチブク(ザンビアンビール)をご馳走になる。

薪でシマを作るKapesa君。
夜はこの火を囲んで、おじいちゃんの話を聞きながら体を温めました。

家をバックにおじいちゃんと孫2人と犬と私。帰る前に一枚。
おじいちゃんはカメラ目線禁止(伝統的に?宗教的に?)

2011年7月1日金曜日

National VCT Day

今日はNational VCT DayということでYouth DayWorld AIDS Dayのようにキトウェ市のイベントに参加しました。


参加することを知らされたのが、昨日。何の準備もしていない。
たいていこういうイベントにはバナーという横断幕とお揃いのT-Shirtsを用意して、町を練り歩き、イベント会場でステージイベント(劇やダンス)と各NGOのブースを出すのが一般的。毎回毎回お決まりのパターン。
というか、私個人的にはこういう市のイベントにT-Shirts代やバナー代をはたいて参加する必要はないと思っているのですが、ザンビア人的にはメンツがあるから何としてもYMCAとしてある程度人数を揃えて参加しないと気が済まないみたいです。
自分たちでイベントを企画してやった方が全然効果的だと思うんだけど。。。
ともあれ、今回も強行参加。
完全に準備不足。


他のNGOはこんな立派なのに、

私たちは机1個。

これなら参加しない方がメンツを保てたのではないかと思うのですが。
この辺は口出ししません・・・。








BTW, バイザウェイ、
最近、キトウェでiPhoneを発見!!しかもホワイト!!
裏にはちゃんとアップルのマークが。
4GBかと思いきや、4GSだって。
どんな操作性なのか試してみたいですね。